10月31日 AM8:21 5組【理系クラス】

     その頃、凌は教室の机に向かい、必死で物理の問題に取り組んでいた。
     それというのも、どうやら昨日の物理で宿題が出ていたらしいのだが、寝ていたのか聞いていなかったのか、凌は覚えておらず、全く手を付けていなかったからだ。
     物理は1限目だから、早くしないと間に合わない。おまけに今日は、席順的に自分が当たる。授業中の内職では誤魔化しきれない。
     
     「うー…やばいなー…」
     
     小問の計算を解き終えて、小さく呟く。それでも、残りは最後の難問だけだ。これなら多少引っかかっても何とか時間には間に合いそうだ。
     そう思い、凌がその問題に取り掛かろうとした時だった。
     背中に、とてつもない衝撃が走った。
     
     「とりっくおあとりーーーーーーーーとっ、しのしのーー!!!」
     「ぐはーっ!!」
     
     背後から飛びつかれて、凌は机に突っ伏す形で倒れこむ。こんな事をする輩に心当たりなんて、1人しかいなかった。
     
     「ちょ、ハヤト、マジで重いんです けどー…」
     
     先程の衝撃でずれた眼鏡のブリッジを上げながら、凌はゆっくりと起き上がり、振り返った。
     …そこには予想通り隼人がいた訳だが、その格好は凌の予想の右斜め45℃上をいっていた。
     
     「…………あのー…ハヤトさん」
     「何だい、しのしのー!」
     
     答えた隼人は、心底嬉しそうだった。が、対する凌の目は生温かい。
     
     「その物体…ナンデスカー…オレの気のせいデスカー…ちょっと幻覚が見えるんデスけど…」
     
     凌は、隼人に恐る恐る尋ねた。
     
     「え、これ?気のせいじゃねぇけど。可愛くね??」
     
     すると隼人はそう言って、頭に獣耳、臀部に尻尾を生やした姿でくるりと回ってみせる。
     凌の顔が、思わず引き攣る。
     
     「ワー…ホントダー、カワイイー」
     
     やっとの事で搾り出した言葉は、誰が聞いても一度で嘘だと判るようなあからさまな棒読みだった。
     だが、勿論そんな返事で納得する隼人ではない。口を尖らせて、ぶすたれる。
     
     「えー、何その棒読み。超生温かくねぇ?もっと温度上げて上げて!!」
     「いやもう、十分上げてるよ、これ以上上がらないよ。20℃で精一杯だから」
     「生温ッ!!せめて25℃まで上げてっ!!今日の最高気温!!」
     「えー無理だよ―…」
     
     凌は言いながら眼鏡を外して、机の上に置いてあった眼鏡ケースに手を伸ばし、眼鏡拭きを取ろうとして手を伸ばした。
     ――と、そこで凌は、自分の目の前に、まだ未完成の物理の宿題が広がっていたことを思い出した。
     
     「っだーーーー!!!忘れてたーーーー!!!!」
     「あっ、オレも忘れてたッ!!!」
     
     2人がほぼ同時に叫ぶ。そのまま、凌は机に向き直って、物理の宿題の続きを始めようとしたのだが、隼人はそれを許さなかった。
     隼人は机の正面に回りこむと、机の前にしゃがみ込んで、凌と目の高さを同じにした上で、両手をはい、と差し出した。
     
     「とりっくおあとりーとv」
     「…………………は?」
     
     隼人の言った台詞がとっさに認識できなかったために、返事をするのにたっぷり10秒はかけてしまった。
     
     「だから、とりっくおあとりーとv」
     「………………あれ、今日ってハロウィンだったっけ?」
     「ハロウィンですよ」
     「マジですか」
     「だから、はい」
     「………………」
     
     凌は黙り込んだ。Trick or treat. 「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ」は、ハロウィンの決まり文句だが、正直な話、凌はお菓子など、飴一粒たりとも持っていなかったのだ。
     自分の顔から血の気が引く音を聞いた…気がした。
     そういえば、去年もこんなことがあった。
     今更思い出したところでどうなるわけでもないのだが、去年は朝から隼人の襲撃にあい、お菓子をねだられ、持ち合わせていなかった凌は――――
     
     「悪戯だなッ」
     
     そう、まるで家々を回ってお菓子を籠一杯に手にした子供のように、キラキラとした瞳をした隼人に『悪戯』されたのだった。
     ――今の隼人はその時と全く同じ表情をしている。
     
     「え、ちょ、ま」
     「待たなーいっ!!」
     
     凌が椅子から立ち上がって後ずさり、隼人がそんな凌目掛けて飛び掛ろうとした、その時。
    
     「こんのクソバカァァ!!!!」
     
     (凌にとっては)神の声が聞こえた。
     声の主――湊都は、ずかずかと5組の教室内に入り、凌の前までくると、隼人の首根っこを引っ掴んだ。
     
     「ぎゃー!!!みな、邪魔すんなよっ!!これはオレとしのしの問題なんだからなっ!!」
     
     隼人は湊都の拘束から逃げようとじたばたと暴れたが、湊都は慣れているためか全く動じない。
     
     「ギリギリ間に合ったぜ…。道理で無理矢理追い出したのに、あっさり帰る訳だよ。最初から凌のとこに行く気だったんだろう、このバカが!」
     「だって悪戯シーターイーんーだーもーん!!」
     
     湊都はぎゃーぎゃーと喚く隼人を黙殺すると、凌の方へ向き直った。凌は大きく深呼吸をして、ゆっくりと話し出した。
     
     「あー……危ないとこをありがとー、ミナト」
     「いや、全然構わないぜ。…たださ、しの。もうちょい警戒心持とうな?」
     「……すいません」
     「まぁ、しのらしいっちゃあしのらしいから良いけど……こいつもう連れて帰るわ。正直うざいだろ?」
     
     心底嫌そうな顔をした湊都がそう聞くと、凌は間髪いれずに頷いた。
     
     「うざいです」
     「うざいとは何だよっ!!失礼な!!」
     「うるせぇよ、帰るぞバカが」
     「にゃー!!はーなーせーよー!!」
     「黙れ――しの。迷惑掛けたな。じゃ、また昼休みに」
     
     湊都はそれだけ言うと、隼人をずるずると引き摺ったまま、教室を出て行った。
     それを見届けた凌は、大きく溜息をつくと、椅子にぺたりと座り込んだ。
     なんだか一気に疲れた。
     そう思って、ふと机に目をやると、解きかけの物理が目に入ってきた。
     
     「ああああああああああ」
     
     思わず叫んで、時計を見る――もう始業時間も近い。
     
     「あああああああああ!!!」
     
     本当に、今日は厄日だ。
     そう思いながら、凌は急いで残りの問題に取り掛かった。
     
     10月31日 AM8:28 5組【理系クラス】
     
     
     
     
     
     *
     
     俺のハロウィンはまだまだ終わらないんだぜ!!
     ……………すいませんOTL      
     (2008/11/15)